【会津・民俗探訪】地獄の老婆が「安産の神様」に?猪苗代に息づく女性たちの祈り「おんばさま」

皆さんの地元には、地域の人々だけでひっそりと守り続けている「小さなお堂」や「神様」はありますか?猪苗代湖の東側、志田浜から川桁へと続く旧道沿いに「関脇優婆夷堂」、通称「おんばさま」と呼ばれるお堂があります。


皆さんの地元には、地域の人々だけでひっそりと守り続けている「小さなお堂」や「神様」はありますか?

猪苗代湖の東側、志田浜から川桁へと続く旧道沿いに「関脇優婆夷堂(せきわきうばいどう)」、通称「おんばさま」と呼ばれるお堂があります。 ここは私の幼少期の遊び場であり、祭礼の日に並ぶたくさんの車を見ては「今日はお祭りなんだな」と子ども心にそわそわした、懐かしい記憶が詰まった場所です。

私自身が結婚し、初めての「戌の日(安産祈願)」を迎えたとき、義母に連れられて再びこのお堂を訪れました。そこで体験したご祈祷は、一般的な神社仏閣のものとは少し違っていたのです。

僧侶のいないお堂。村の女性たちが紡ぐ「ご詠歌」

このお堂には、住職がいません。 50代から80代の地域の女性たちが主体となり、祭礼の日には総出でお堂を清め、参拝者を温かく迎え入れてくれます。

ご祈祷のスタイルも独特です。僧侶や宮司ではなく、お産を経験してきた人生の大先輩である村の女性たちと一緒に「三十三観音のご詠歌」を唱えて安産を願うのです。女性特有の細く、鼻に抜けるような独特なご詠歌の調べ。その声に包まれると、不思議な連帯感と、見守られているような温かい安心感がありました。

命を繋ぐ、女性たちの輪

祈祷の後は、お漬物をお茶請けに身の上話に花を咲かせ、「安産祈願」と刻印された木のへら(しゃもじ)をいただいて家路につきます。
かつて境内で遊んでいた少女が、子を授かり、母となり、やがてはあの時ご詠歌を唱えてくれた女性たちのように誰かの安寧を願う存在になっていく。女性の一生は、みな同じ一つの輪を描いているのだと、静かに気付かされる体験でした。

【民俗学ミステリー】「おんばさま」の正体は、三途の川の老婆?

さて、ここで一つ不思議な歴史のミステリーをご紹介します。 この温かい「おんばさま(優婆夷)」ですが、祀られている仏像(神像)の多くは、片膝を立てて座る老婆の姿をしています。

実はこれ、全国的には「奪衣婆(だついば)」と呼ばれる存在であることが多いのをご存知でしょうか? 奪衣婆とは、死後の世界、三途の川のほとりで亡者の衣服を剥ぎ取り、生前の罪の重さを計るという、言わば「地獄の恐ろしい老婆」です。

では、なぜそんな恐ろしい存在が、会津の地では「安産・子育ての優しい神様」として厚く信仰されているのでしょうか? 皆さんはどう思われますか?

時代を超えて重なる「女性を救う強い女性」の伝説

その謎を解く鍵は、「昔の出産の姿勢」と「数々の伝説」に隠されています。

奪衣婆の「片膝を立てて座る姿」は、実は昔の女性の「座産(座って出産するスタイル)」とよく似ています。また、如意輪観音(猪苗代三十三観音の十一番札所でもあります)の座り方とも重なることから、いつしか安産信仰へと結びついていったと考えられています。

さらに会津には、こんな伝説も残っています。

会津に残る、老婆にまつわる救済伝説

  • 室町時代の助産伝説:岩館山の城主の妻が難産で苦しんでいた時、どこからともなく一人の老婆が現れ、親切に助産をして霧のように消え去りました。感激した夫人がその面影を描いて礼拝したのが、関脇の「おんばさま」の始まりだと言われています。
  • 金曲の橋姫(芦名姫)伝説:大洪水のなか行き場を失った臨月の妊婦を、「自分が地獄に落ちようとも、この母子を救いたまえ」と強い悲願で助け出したという伝説が残っています。

形は「恐ろしい老婆」でも、その本質は「命がけの出産に臨む女性を、強い力で助けてくれる存在」。だからこそ、会津の人々は80ヶ所にも及ぶお堂を建て、深い感謝と祈りを捧げ続けてきたのです。

知られざる「会津のディープな歴史」を紐解く旅へ

いかがでしたでしょうか。 名もなき村の女性たちが守り継いできた小さなお堂には、教科書には載っていない、深く温かい民俗信仰の歴史が息づいています。

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