【会津・歴史探訪】名君が仕掛けた「ご当地ツーリズム」? 会津三十三観音に隠された経済政策


近年、神社仏閣を巡って「御朱印」を集めるのがブームになっていますが、皆さんはこの御朱印のルーツをご存知でしょうか?

実はその起源は、奈良時代にまで遡ります。
病で仮死状態になった徳道上人(とくどうしょうにん)というお坊さんが、冥土で閻魔大王から「世の人を救うために三十三の観音霊場を開きなさい」と、起請文と三十三の宝印を授かったのが始まりだと言われています。

つまり御朱印とは、単なるスタンプラリーではなく、33ヶ所すべて集めることで閻魔大王との約束を果たした証明となる「極楽浄土へのパスポート(通行手形)」だったのです。

今回は、そんな極楽浄土へのパスポートを巡る「会津三十三観音巡り」の誕生秘話と、そこに隠された意外な「経済政策」の裏側をご案内します。

そもそも、なぜ「三十三」なのか?

前回の記事でも少し触れましたが、観音様(観世音菩薩)は、相手の悩みや状況に合わせて「33種類の姿」に変化して救済してくれるという特徴を持っています。

仏教における「33」という数字は、単なる数ではなく「無限のバリエーション(あらゆる手段を使って救う)」を意味します。この教えをベースに、関西地方を中心とした「西国三十三所観音巡礼」が誕生し、全国的なブームとなっていきました。

【アカデミック視点】保科正之の「お金を外に出さない」経済政策

江戸時代になると、街道が整備され、庶民の間でも「お伊勢参り」や「西国三十三観音巡り」が大流行しました。
しかし、会津から関西までの旅は、往復で2ヶ月以上もかかる大旅行です。当時の会津藩主・保科正之(ほしなまさゆき)は、これを見てあることを危惧しました。

「領民たちがこぞって西国へ旅行に行けば、莫大な旅費(資金)と労働力が会津の外へ流出してしまう!」

もし皆さんが藩主(経営者)だったら、どうしますか? 単純に「旅行禁止!」と法律で押さえつけるでしょうか? しかし名君・正之公は違いました。

「禁止」ではなく「ご当地巡礼」をプロデュース

信仰心や「旅行に行きたい」という庶民の娯楽(ガス抜き)を無理に奪うことはせず、「だったら、会津の中だけで完結できる三十三観音のルートを作ればいい」と考えたのです。
会津には、天才僧・徳一の時代から続く由緒あるお寺がたくさんありました。それらを繋ぎ合わせて「会津三十三観音」を制定し、領民たちに「ご当地巡礼」を推奨したのです。これにより、領民の不満を抑えつつ、見事にお金の県外流出を防ぐことに成功しました。

まさに、現代の地方創生やツーリズム戦略にも通じる、見事な采配ですね。

江戸の女性たちが満喫した「合法的な女子旅」

こうして整備された会津三十三観音巡りは、農村部の女性たちにとって最高の娯楽となりました。

普段は家事や田畑の仕事に追われ、なかなか家を出ることができない彼女たちにとって、観音巡りは大手を振って出かけられる「合法的な女子旅」です。

仕事が一段落した時期に仲間たちとお金を出し合い、霊場で御詠歌を唱えて祈りを捧げた後は、道中の宿場町で美味しいものを食べ、温泉に浸かり、日頃の愚痴や悩みを相談し合う。信仰とレジャーが見事に融合した、心身のリフレッシュ行事だったのです。

例えば、会津五街道の一つ「大内宿」を通るルートでは、正之公が信州から職人を連れてきて広めた「高遠蕎麦(ねぎそば)」や、エゴマ味噌を塗って香ばしく焼いた「しんごろう」など、当時から続く素朴な郷土食を今でも味わうことができます。

往時の人々の「息遣い」を追体験する旅へ

いかがでしたでしょうか。
会津地方には今でも、この「会津三十三観音」のほかに、「御蔵入(奥会津)三十三観音」や「猪苗代三十三観音」など、地域の人々が独自に作った様々な巡礼コースが息づいています。

「旅の糸」では、こうした観音巡りの道を、歴史の裏話や当時の人々のリアルな暮らしを解説しながらご案内する【教養(Academic)スタイル】のツアーをご用意しております。

ただの仏像見学ではなく、「ここで江戸の女性たちがお蕎麦を食べていたんだな」「これは藩主の経済政策だったんだな」と、歴史の点と点が繋がるアカデミックな旅へ。ぜひ私たちと一緒に、極楽浄土へのパスポートを求める「知的なフィールドワーク」に出かけませんか?

裏磐梯を、もっと自由に。もっと深く。

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