「一に嫁とり、二に孫もうけ、三に宝の蔵を建て」
福島県・喜多方市には、古くからこんな言葉が伝えられています。いい奥さんをもらい、跡継ぎができ、立派な蔵を建ててこそ、男の人生は万々歳だという意味です。
「男四十にして蔵をもてぬようでは、一人前とはいえない」とまで言われた喜多方。 市町村合併を経た現在、喜多方市にはなんと4,000棟以上もの蔵が現存しています。人口比率で考えると、とんでもない密集度です。
なぜ、喜多方の人々はこれほどまでに「蔵」を建てることに情熱を注いだのでしょうか? 今回は、ノスタルジックな風景の裏に隠された、喜多方の男たちの熱いプライドと、独自のビジネス哲学(教養)をご案内します。
収納庫ではない。究極のステータス「蔵座敷」
一般的な蔵といえば、お米や家財道具をしまっておく「物置」ですよね。 しかし、喜多方の蔵の最大の特徴は、「人間が快適に生活し、客人を迎えるために造られた『蔵座敷』」が多いということです。
男の絶対的ステータス
冠婚葬祭の大宴会ができる何十畳もの大広間を備えた蔵や、隠居したおじいちゃんが暮らす離れの蔵。中には、わざわざ外にあるお便所(厠)まで蔵造りにしてしまうという、凄まじいこだわりの「厠蔵(かわやぐら)」まで存在します。
当時の仲人さんの間では「蔵を3つまではサバを読んでも(大げさに言っても)許される」という暗黙のルールがあったほど、蔵の数と大きさは「家柄と経済力の絶対的なステータス」でした。
贅の極み!「烏城」と呼ばれた黒漆喰の巨大蔵
そんな喜多方の蔵の中でも、最高峰の贅沢を尽くしたのが「甲斐本家(国登録有形文化財)」の蔵座敷です。 外壁がすべて最高級の「黒漆喰(くろしっくい)」で塗り固められており、その巨大で黒光りする威容から「烏城(うじょう:巨大なカラスの城)」と呼ばれました。
【アカデミック視点】蔵の街を生んだ「藤樹学」の教え
では、なぜ喜多方という土地で、これほどまでに商業が発展し、蔵を建てる文化が根付いたのでしょうか? その答えは、江戸時代に喜多方に浸透した「藤樹学(中江藤樹の教え)」という学問・思想にあります。
朱子学 vs 藤樹学
当時、江戸幕府は身分制度(士農工商)を重んじる「朱子学」を絶対のルールとしていました。しかし、喜多方の人々はもっと実用的で、人間の本質に寄り添う藤樹学を支持したのです。
藤樹学の教えを一言で言えば、「お上も庶民も、人間はみんな平等。大いに競い合って正当に財を成すことは、卑しいことではなく、むしろ素晴らしいことだ!」というものです。もし皆さんが当時の商人だったら、幕府の厳しい身分制度の中でこの教えを聞いて、どれほど心が救われ、モチベーションが上がったでしょうか。
この「自由でポジティブなビジネス哲学」が、会津若松(お城下)に対する強烈な対抗心や自負心と結びつき、「よし、俺も立派な蔵を建ててやる!」というエネルギーとなって、現在の美しい街並みを作り上げたのです。
失われゆく風景を守った、一人の写真家
昭和の高度経済成長期、古い蔵は「時代遅れの邪魔なもの」として次々と壊されそうになりました。 その危機を救ったのが、地元の写真家・金田実さんです。彼は消えゆく蔵の美しさを写真に収め、展覧会を開くことで「この蔵の風景こそが、喜多方にしかない圧倒的な宝物なのだ」と町の人々に気づかせたのです。
「旅の糸」では、こうした喜多方の蔵をただ見学するだけでなく、その裏側にある「藤樹学」の哲学や、男たちの意地とプライドを解説する【教養(Academic)スタイル】のツアーをご用意しております。
貴重な蔵を「レールを敷いて丸ごと引っ張って(移築して)きた」という大和川酒造店のロマン溢れるエピソードなど、現地でしか味わえない熱い物語が満載です。 ぜひ私たちと一緒に、4,000棟の蔵が語りかけてくる「喜多方の真髄」に触れるフィールドワークに出かけませんか?